同期会だより還暦を祝う会にちなんで 栄中第22期生(昭和44年卒)
実行委員長の大屋寺内堀ノ内の藤原久良(屋号通称堀ノ内の久七)です。私逓はちょうど花のニッバチ組と呼ばれる昭和28年生まれ世代です。栄小入学当時は総勢93人で2クラスぎゅうぎゅう詰めでしたけれども先生との関係、ふれあいは濃密だった事を鮮明に覚えています。7人が亡くなってしまっていて祝賀会参加率ちょうど50%でした。 約1年前の9月、いつも連絡の取れている栄地区同期生4-5人、「来年還暦だで、俺だやらねばダメななだな。去年の先輩だち、なんとしたたべ聞いでみるぺ」その後のリサーチで、私「大変だー、去年の尭輩だぢ、1年以上もみゃがら準備してだで」。菅原康彦「そりゃ大変だスグ始めるべ」と、どこでやる?いつやる?ま圭ず島春で飲みながら決めるぺ。 あれからざつと9ヶ月後の6月22日(土)篭球部キャプテン候補だった富岡祥吾君の合図で、神事始まり花火に点火。バババーン。ついに還暦。おめでとう?とても複雑。栄神社神主さんのドンどこドンと太鼓の音がやけに体に響く。パラパラと徴妙に合わない二拝二拍手一拝で無事神事終了。 神殿の前でわいわいガヤガヤ。ハイボーズで記念写真済ませ、迎えのバスに乗り込む。一路花巻温泉愛隣館へ。ごこでもロビーでハイホーズ。実行委員ば祝賀会の会場準傭でドタバタ。各部屋ではバタバタとお色直し。各部屋ではプシュ、カチンと練習のハジマリ、ハジマリー。
「いよいよ本番祝賀会.野球部4番にエースの・・・菅原康彦君が危なっかしい司会、科学部部長の藤原久良君が実行委員長の挨拶をパッチリ決める。朗読の得意だった高橋(泉谷)弘子さんが恩師高橋昭二先生、高橋富貴子先生からのメッセージをスラスラと読み上げる」と副実行委員長の菅原康彦君君(通称薬局)の、編集後記に記されております。 実はご健在の恩師の先生は、高橋昭二先生と高橋富貴子先生で、お二人とも傘寿前後と推測しますが、色々お忙しく、祝賀会には出席できませんでした。しかしご丁寧な愛情あふれるお祝いの言葉をいただいたのでした。残念ながら、照井清先生、石川敬先生、沢田ノブ先生、太田順夫先生は、亡くなられております。 さていざ乾杯の発声は吹奏楽部、菅野喜代巳君「カンパーイー」ここで各部屋の練習成果を存分に発揮。息のあった乾杯でパチパチ。ブロジェクターに映し辿された「昔の僕たち、私たち」一気に数十年前にタイムスリップする。・・・中略。宴もたけなわではございますがと、中締めの挨拶は篭球部影の主将、新町の三浦富夫君。 予想を上回る楽しさと懐かしさ。栄中学校第22期生還暦祝賀会は終了。次の2次会へ。そしてヤッパリ各部屋で3次会は燥り広げられ、いつお開きになったかはようとして定かではなかったのでした。 翌日は、ホテルを駐っくリテェックアウトし、昼からの積手プラザホテルでの収めの会へ向かったのでした。 プラザホテルでは、このホテルの専務をやっている伊藤司君がパッチリ挨拶.そして中里の中山義信君の乾杯の音頭でババキヌギ開始。みんな「まだ飲むながや」的な顔をしたいましたが、そこはそれ秋田県人、全国酒消費量1位の座をそう簡単に明け渡すわけには行きませんわな。またもや4時くらいから馬喰町へと繰り出す仲間が少なくありませんでしたぞ。こうして昭和二十八年生まれの栄中学校卒業生の還暦祝賀会は無事酔了したのでした。 来年の「後厄の祝賀会ば東京で!関東在住の同級生お願いしますね」としっかり圧力をかけた事はゆうまでもありません。 人生の中でも本当の区切りの年の還暦、第二の九生のスタート地点に立ちました。お祓いは済ませましたが、厄年にあたります。まだまだ気持ちは若いですが少し体をいたわって無理をせず過ごしたいものです。みんなが健康で幸せで長生きして、これからも何回も祝賀会でお会いすることができますように!!よーし第二の人生もがんばんぺー。 寄稿させていただきました「ふるさと栄会」のますますのこ発展をお祈りしております。同時に故郷「栄」に思い寄せている皆様ならぴに「ふるさと栄会の読者」の皆様のご健康とご発展をお祈りします。 藤原久良(記) |
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